皆時間に意味を持たせ過ぎでは?
「私、来月は〜して、〜をするんだ」という声をよく聞きます。とりわけ、ツイッターを始めとしたSNSでよく見ますよね。
私から言わせて下さい。そういう人は時間に意味を持たせ、その事実を自他共に認識することで一種の拠り所を築いているように思えます。
もちろん否定するわけではありません。そういった時間はその人にとって新たな経験や知らなかったことを体験できるわけですから貴重なものになってゆくはずです。
何より楽しいですしね。
しかし、日常の何もない時間にも目を向けてみてはどうでしょう?
例えば、母はいつも家にいる、とか、部屋でゴロゴロ寛ぐといったことは実は自分の存在を作る上でとても大切なことだとは思いませんか?
実は、自分というのは日常の何気ない場面に支えられているのです。
家でゴロゴロ寛ぐことを注意する人がもしいたら?家の机がなくなったら、家路に着く道の街路樹がなくなってたら…?
そう、日常全てが変わってしまうのです。そうした変化は自分にとって大きな影響力を与えます。
後になって気づくものがある、とよく言いますが、日常がそれに最も当てはまるのではないでしょうか?
遠藤周作は、何気ない日常にふとくる「シーン」とした瞬間を「人生の時間」と呼んでいるそうです。
忙しがちな日々。たまには暇な時間を見つけて、日常の大切さを痛感し、「人生の時間」をすごしてみてはどうでしょうか?